仕事で偶然八王子に行ったら、八王子駅前のそ○うが閉店して(確か今年の1月くらい?)新しい駅ビルがオープンしていて賑わいをみせていた。
声をはりあげて案内をする若い男の人、この日のために磨き抜かれた店内、すべて統一されたお祝い花のスタンド(ダリアが可憐だった)、新しくてピカピカのロゴマーク、あちらこちらに貼られたイメージポスター。すべてにげんなりする一方で、今日この日にこぎつけたオープニングスタッフの苦労を想像してみて勝手にしみじみと熱い気持ちになった。大変だっただろうなぁ。
げんなりしたのはそのすべてが消費社会をけん引していく象徴的な出来事に思えたからで。熱い気持ちになったのは、その準備はものすごく大変な一方でわかりやすくオープンに向けてという目標設定がなされていることによって体育会系的なやりがいとかがあって、それらは長期的に物事を考えられない人々(自分もそうですが)にとってつらくも充実した日々だったんだろうと。方向性が一致していなくて言い合いになったり、深夜に缶コーヒーの差し入れがあったり、検品倉庫のかげでこっそりキスとか(キス以上のこととか)したり……ああ、想像するだけならすっごく楽しそう!
肝心の店内は、それはもう地方都市を食い荒らしてきた都内のデパートとなんら変わらないセレクトショップの数々。まぁでも地方暮らしというのをしたことがないのでこれがいかにありがたいことかというのはわたしは理解できていないだけなんだろうと思う。地元の人に実際話を聞いたら「地下食品街も充実したし便利になって嬉しい」って言ってたし。確かに近所でかわいいもの買えたら嬉しいよね。フランスのおっさんがちょっとだけ日本よりお洒落に見えるのは、スーパーで売ってるものがそもそもちょっとかわいいからだろ思うし。
でも前のそごうのほうが個人的にはよかったな。
まぁかなり衰退していたのは否めないけど、「百貨店」という感じがしてよかった。
「駅ビル」というのは味気ないというかなんというか、「サービス」を売っている場所なんだよね。実際にほとんどすべての社会活動というのは現在サービスの等価交換によって行われているわけなんだけど、そのモデルも早晩厳しいことになっていくのではないかという予感はすべての人が持っているんですよね。
それに対して「百貨店」というのは、まあ一度は地に落ちたけど伊●丹などの少ない成功例があるように「信頼」を売るという場なんだよね。
先日某大手通販サイトの社長がtwitter上で暴言をはいたとかでニュースになっていたけど、それも「本来何を売っているのか」という思想の違いなのではないかと思う。
お金というカードを切る以上、カードゲームなんだからルールが存在してしかるべきなんだけれども、消費者が一番偉いという発想はそのルールを覆してしまう。そうすると結局やるかやられるか的な話になってしまうというか、そこに「信頼」だとか「信用」だとかいうものが介在はしてこない気がする。それを言ってたら「商売が成り立たない」という時代なんだよね?
まあ学生のころだったらこれでレポート1本かけたような気もするし(そもそも「商売」という発想自体から歴史をさかのぼってしまいそうだけど)、誰かにこの話を滔々と語って2時間くらい飲めた気もするけど。
わたしも物を売る仕事の端くれとして、まぁ、時間のあるときにちょっとずつ考えようかなぁと思います。
声をはりあげて案内をする若い男の人、この日のために磨き抜かれた店内、すべて統一されたお祝い花のスタンド(ダリアが可憐だった)、新しくてピカピカのロゴマーク、あちらこちらに貼られたイメージポスター。すべてにげんなりする一方で、今日この日にこぎつけたオープニングスタッフの苦労を想像してみて勝手にしみじみと熱い気持ちになった。大変だっただろうなぁ。
げんなりしたのはそのすべてが消費社会をけん引していく象徴的な出来事に思えたからで。熱い気持ちになったのは、その準備はものすごく大変な一方でわかりやすくオープンに向けてという目標設定がなされていることによって体育会系的なやりがいとかがあって、それらは長期的に物事を考えられない人々(自分もそうですが)にとってつらくも充実した日々だったんだろうと。方向性が一致していなくて言い合いになったり、深夜に缶コーヒーの差し入れがあったり、検品倉庫のかげでこっそりキスとか(キス以上のこととか)したり……ああ、想像するだけならすっごく楽しそう!
肝心の店内は、それはもう地方都市を食い荒らしてきた都内のデパートとなんら変わらないセレクトショップの数々。まぁでも地方暮らしというのをしたことがないのでこれがいかにありがたいことかというのはわたしは理解できていないだけなんだろうと思う。地元の人に実際話を聞いたら「地下食品街も充実したし便利になって嬉しい」って言ってたし。確かに近所でかわいいもの買えたら嬉しいよね。フランスのおっさんがちょっとだけ日本よりお洒落に見えるのは、スーパーで売ってるものがそもそもちょっとかわいいからだろ思うし。
でも前のそごうのほうが個人的にはよかったな。
まぁかなり衰退していたのは否めないけど、「百貨店」という感じがしてよかった。
「駅ビル」というのは味気ないというかなんというか、「サービス」を売っている場所なんだよね。実際にほとんどすべての社会活動というのは現在サービスの等価交換によって行われているわけなんだけど、そのモデルも早晩厳しいことになっていくのではないかという予感はすべての人が持っているんですよね。
それに対して「百貨店」というのは、まあ一度は地に落ちたけど伊●丹などの少ない成功例があるように「信頼」を売るという場なんだよね。
先日某大手通販サイトの社長がtwitter上で暴言をはいたとかでニュースになっていたけど、それも「本来何を売っているのか」という思想の違いなのではないかと思う。
お金というカードを切る以上、カードゲームなんだからルールが存在してしかるべきなんだけれども、消費者が一番偉いという発想はそのルールを覆してしまう。そうすると結局やるかやられるか的な話になってしまうというか、そこに「信頼」だとか「信用」だとかいうものが介在はしてこない気がする。それを言ってたら「商売が成り立たない」という時代なんだよね?
まあ学生のころだったらこれでレポート1本かけたような気もするし(そもそも「商売」という発想自体から歴史をさかのぼってしまいそうだけど)、誰かにこの話を滔々と語って2時間くらい飲めた気もするけど。
わたしも物を売る仕事の端くれとして、まぁ、時間のあるときにちょっとずつ考えようかなぁと思います。
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