今講談社新書の「他人を見下す若者たち」という本を読んでいる。でもブックレビューで検索したらなぜかひっかからなかった。なんでだろ。
2006年2月に発行された本なのだけど、大学生にこれからの目標やそれに伴う下位目標を訪ねた典型例として以下の文章が。
ひたすらまじめでいると馬鹿を見てしまうこの時代に、年若いひとたちにどんなロールモデルを与えてあげられるんだろう。それが「壊すべきもの」であったとしても。
ただこれある種の圧倒的なコミュニケーション不足でもあるような気はするんだよね。自分の知らない身近な大人の話を聞くこともないだろうし。
*****************************
最近、「人を注意する」という機会が何回かあった。
電車のなかでありえない音量で話している主婦集団に、ひとつドアをはさんで出張して「すみません、大変申し訳ないんですがもう少しボリュームをさげてお話してもらえますか」と注意した。向こうもすごく遠くの席にすわっていたわたしがわざわざ来たからびっくりしたみたいで、その後はボリュームをさげてくれたけど。車内全員そっちを苦々しい目で見ていたのに(たぶん)だれも注意をしないのが不思議だった。あの〜電車内レイプってそういうことなんだろうか。
あとバレエの公演を見にいって。
子どもの私語があまりにもうるさくて。たぶん小学校低学年くらい。オペラグラス落としてドンガラガッシャ〜ンいってるし(まぁそれはある種事故だから仕方がないけど)しかも拍手するシーンではドンドン足を踏み鳴らしていた。わたしのほかの人も何人かそちらを振り向いているのにおかまいなし。あまりに目にあまって、休憩時間に席をたって注意した。
三人の子どもに話しかけ、こちらを向かせ「バレエをやっている間は静かにできるかな?」と聞いた。こどもはわたしの方を直視せずにカオを伏せたままうなずいた。
うわ〜、わたしめっちゃ悪者みたい。
親はそれを黙ってみていた。目が合ったけど目礼されたぐらいで、なにも言われなかった。「親も注意したろか?!」と思ったけれど、親同士で話をしたらしく以降は親が子どもと隣同士に座って(それまでは子ども同士でかたまって観劇していた)問題も起こらなかったのでまぁよし。
なんで見て見ぬふりをするんだろう。
なんかよその人に注意をするってやっちゃいけないことみたいになってるのね。
これって圧倒的なコミュニケーションの不足なんだよね。
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逆に注意もされた。
友達同士でよく行く店でご飯を食べていたらあとから子ども連れの夫婦が来て隣のテーブルにすわった。そしてしばらくしてからにわかにダンナらしき人が立ち上がって
「すみません。子どもがいるし、妻は妊娠しています。たばこを控えてください!」と言われた。
これはムカついた(勝手ですね)。
言い方の問題なんだろうけど、いかにも「それが当然でしょ」っていう言い方をされたのがムカついた。妻の妊娠とか、そんな言われないと気づかないし!もう少し謙虚に言ってくれれば全然問題ないのに。「ああ、気づかずにすみませんでした」って素直に言えるのに。そこをいきなり説教みたいに言われたのが「ええ?」ってかんじだった。普通に言ってくれ。普通に。
そっちが先に食べていたならともかく、後から来たんじゃん。見れば吸ってるのわかるじゃん。もちろん主張はもっともなのでその家族が出て行くまで吸わなかったけど。
確かにタバコはね〜。よくないからね〜。難しいけどね〜。
言われなければ気づけなかったし、言ってもらってよかったんだけどさ。今度からそういう場面ではなるべく気づくようにしたいとこころから思ったけどさ。
でもこれもちょっと自分のこと(タバコを吸っているという現代社会においての弱み)は棚にあげてしまうので申し訳ないけれど、コミュニケーション能力の不足を感じた。
その〜。自分と自分のまわりのことしか考えない、という姿勢。自分の権利ばかりを主張するという姿勢。
わたしも人を注意したりするわけだけど、なにがどう違うんだろうか。あるいは一緒なんだろうか。
もちろん、いやなら言えばいいんだ。そこから解決していくしかないんだ。タバコに関してはこっちがわるいと思うんだ。でも、ちょっと例が悪いけど、自分の主張に対する正当性への過信があからさまに感じられて不愉快だった。
たしかにこの件はわたしたちが悪かった。タバコはもっと制限されていいんだよね、たぶん。(いや、ヘビースモーカーなので困るけど。まーそれであきらかに不愉快だったり、健康に問題が起きる可能性がある場合はそれを侵す権利はない)でももっとなんとかもっとうまい話し方を見つけられないものなのか。われわれだってわざわざ喫煙可な店を選んでいるわけで。
子どもと妻への配慮という圧倒的な正義。
もう本当にそれは降参。
わたしだって次世代をになう子たちを大切にしたい。わたしが子どもの親でもそうするだろう(まーそれ以前に夜にあんな店にいかないと思うが)。
でも極論してしまうと「うちの子どもを生かすためにあなたがたはあらゆることをガマンしてください」と言い出しかねない口調だったんだよ。
いや、もちろんタバコやめても死なないからすごくこの言い分は失礼なことであって、その点は理解しているつもりで、文句はひとつもないんだけど。100%おっしゃるとおりなんだけど。その主張の正当性を盾にした、失礼な言動だな、って思った。思ってしまった。絶対的に正しいことというのはすごく難しいのだ。そこに相対的な視点が存在しないという点において。今のように多様性が容認され、それぞれの個が異文化を抱えている社会ではなおさら難しいのだ。それはその、ある種の「言ったもん勝ち」になってしまうのだ。ただだからといって「見て見ぬふり」も違うし、「関係ない」も違うし、我慢をする必要はない。
その〜。最近よその人を注意したという自分の行動とあいまっていろいろ反省というか、思うことが多かった。まわりを配慮せずタバコを吸う大人を放置するのは問題だし、それは絶対悪だと断罪する人も問題だし、見て見ぬフリをするもの問題だ。そこんとこ、もうちょっとうまくやれないのかなぁ。自分も含めて。
わたしはわたしひとりぶんは、次の世代のことを考えなければ。禁煙もそうだし(減煙か)、そして新しく出会うひと(子ども)たちのために。わたしはわたしひとりぶん、次の世代への責任があるのだ。
あんたんちのこどもは、あんたひとりの責任じゃない。わたしにもあんたんちの子どもを守る義務はあるのだ。
そして、あんたんちのこどもは世界の中心ではない。そんな風にこどもを育ててはいけないのだ。わたしにもあんたにもあんたのこどもにも世界はあってシェアしなければいけないのだ。
ああ、わけわかんなくなってきた。寝ます。
2006年2月に発行された本なのだけど、大学生にこれからの目標やそれに伴う下位目標を訪ねた典型例として以下の文章が。
目標はマイホームを建てて、愛犬を飼い、心穏やかな老後を送ること。そのために勉強をきちんとやり、留年しないように確実に単位をとり、大学を卒業する。それから大学院に行き、研究能力を高め、その後、将来性のある企業に就職する。節約してお金をためて、ある程度たまったら、ローンで家を購入する。しかし、あまり苦労して病気にかかったりすると、目標が達成できなくなるので、日頃から適度な運動とバランスのとれた食事をとり、節約中でも、気分転換に旅行に行き、健康を維持できるように努力する。仕事と私生活を充分に満喫したら、65歳くらいで退職する。退職後、犬を飼い、少しお金をかけて心穏やかにゆっくりと老後の生活を送るうう〜ん。結構衝撃。そんなに夢がなくていいのか?と思ってしまったりもするのだけれど、でもそれ以上どんな実現可能な夢を持てというのだろうと問われたときに答えが見つからない。「おれはビッグになるんだ」とか「ミュージシャンになりたい」とか言われても困るし。「現実見ろよ」とか言いたいし。
ひたすらまじめでいると馬鹿を見てしまうこの時代に、年若いひとたちにどんなロールモデルを与えてあげられるんだろう。それが「壊すべきもの」であったとしても。
ただこれある種の圧倒的なコミュニケーション不足でもあるような気はするんだよね。自分の知らない身近な大人の話を聞くこともないだろうし。
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最近、「人を注意する」という機会が何回かあった。
電車のなかでありえない音量で話している主婦集団に、ひとつドアをはさんで出張して「すみません、大変申し訳ないんですがもう少しボリュームをさげてお話してもらえますか」と注意した。向こうもすごく遠くの席にすわっていたわたしがわざわざ来たからびっくりしたみたいで、その後はボリュームをさげてくれたけど。車内全員そっちを苦々しい目で見ていたのに(たぶん)だれも注意をしないのが不思議だった。あの〜電車内レイプってそういうことなんだろうか。
あとバレエの公演を見にいって。
子どもの私語があまりにもうるさくて。たぶん小学校低学年くらい。オペラグラス落としてドンガラガッシャ〜ンいってるし(まぁそれはある種事故だから仕方がないけど)しかも拍手するシーンではドンドン足を踏み鳴らしていた。わたしのほかの人も何人かそちらを振り向いているのにおかまいなし。あまりに目にあまって、休憩時間に席をたって注意した。
三人の子どもに話しかけ、こちらを向かせ「バレエをやっている間は静かにできるかな?」と聞いた。こどもはわたしの方を直視せずにカオを伏せたままうなずいた。
うわ〜、わたしめっちゃ悪者みたい。
親はそれを黙ってみていた。目が合ったけど目礼されたぐらいで、なにも言われなかった。「親も注意したろか?!」と思ったけれど、親同士で話をしたらしく以降は親が子どもと隣同士に座って(それまでは子ども同士でかたまって観劇していた)問題も起こらなかったのでまぁよし。
なんで見て見ぬふりをするんだろう。
なんかよその人に注意をするってやっちゃいけないことみたいになってるのね。
これって圧倒的なコミュニケーションの不足なんだよね。
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逆に注意もされた。
友達同士でよく行く店でご飯を食べていたらあとから子ども連れの夫婦が来て隣のテーブルにすわった。そしてしばらくしてからにわかにダンナらしき人が立ち上がって
「すみません。子どもがいるし、妻は妊娠しています。たばこを控えてください!」と言われた。
これはムカついた(勝手ですね)。
言い方の問題なんだろうけど、いかにも「それが当然でしょ」っていう言い方をされたのがムカついた。妻の妊娠とか、そんな言われないと気づかないし!もう少し謙虚に言ってくれれば全然問題ないのに。「ああ、気づかずにすみませんでした」って素直に言えるのに。そこをいきなり説教みたいに言われたのが「ええ?」ってかんじだった。普通に言ってくれ。普通に。
そっちが先に食べていたならともかく、後から来たんじゃん。見れば吸ってるのわかるじゃん。もちろん主張はもっともなのでその家族が出て行くまで吸わなかったけど。
確かにタバコはね〜。よくないからね〜。難しいけどね〜。
言われなければ気づけなかったし、言ってもらってよかったんだけどさ。今度からそういう場面ではなるべく気づくようにしたいとこころから思ったけどさ。
でもこれもちょっと自分のこと(タバコを吸っているという現代社会においての弱み)は棚にあげてしまうので申し訳ないけれど、コミュニケーション能力の不足を感じた。
その〜。自分と自分のまわりのことしか考えない、という姿勢。自分の権利ばかりを主張するという姿勢。
わたしも人を注意したりするわけだけど、なにがどう違うんだろうか。あるいは一緒なんだろうか。
もちろん、いやなら言えばいいんだ。そこから解決していくしかないんだ。タバコに関してはこっちがわるいと思うんだ。でも、ちょっと例が悪いけど、自分の主張に対する正当性への過信があからさまに感じられて不愉快だった。
たしかにこの件はわたしたちが悪かった。タバコはもっと制限されていいんだよね、たぶん。(いや、ヘビースモーカーなので困るけど。まーそれであきらかに不愉快だったり、健康に問題が起きる可能性がある場合はそれを侵す権利はない)でももっとなんとかもっとうまい話し方を見つけられないものなのか。われわれだってわざわざ喫煙可な店を選んでいるわけで。
子どもと妻への配慮という圧倒的な正義。
もう本当にそれは降参。
わたしだって次世代をになう子たちを大切にしたい。わたしが子どもの親でもそうするだろう(まーそれ以前に夜にあんな店にいかないと思うが)。
でも極論してしまうと「うちの子どもを生かすためにあなたがたはあらゆることをガマンしてください」と言い出しかねない口調だったんだよ。
いや、もちろんタバコやめても死なないからすごくこの言い分は失礼なことであって、その点は理解しているつもりで、文句はひとつもないんだけど。100%おっしゃるとおりなんだけど。その主張の正当性を盾にした、失礼な言動だな、って思った。思ってしまった。絶対的に正しいことというのはすごく難しいのだ。そこに相対的な視点が存在しないという点において。今のように多様性が容認され、それぞれの個が異文化を抱えている社会ではなおさら難しいのだ。それはその、ある種の「言ったもん勝ち」になってしまうのだ。ただだからといって「見て見ぬふり」も違うし、「関係ない」も違うし、我慢をする必要はない。
その〜。最近よその人を注意したという自分の行動とあいまっていろいろ反省というか、思うことが多かった。まわりを配慮せずタバコを吸う大人を放置するのは問題だし、それは絶対悪だと断罪する人も問題だし、見て見ぬフリをするもの問題だ。そこんとこ、もうちょっとうまくやれないのかなぁ。自分も含めて。
わたしはわたしひとりぶんは、次の世代のことを考えなければ。禁煙もそうだし(減煙か)、そして新しく出会うひと(子ども)たちのために。わたしはわたしひとりぶん、次の世代への責任があるのだ。
あんたんちのこどもは、あんたひとりの責任じゃない。わたしにもあんたんちの子どもを守る義務はあるのだ。
そして、あんたんちのこどもは世界の中心ではない。そんな風にこどもを育ててはいけないのだ。わたしにもあんたにもあんたのこどもにも世界はあってシェアしなければいけないのだ。
ああ、わけわかんなくなってきた。寝ます。
コメント
あたしは吸うヒトなので、だからというわけじゃないけどクロムさんの言うことはとってもよくわかります。
勘違いの正義を振りかざすやつってとてもしんどい。
最近分煙化が進んでるんだし、それでもあえて喫煙可のところにいるほうが悪い
って思うのは間違ってますかね?
お互いの気持ちになってみなくちゃいけませんよね。
自分にとっては「当然、正義。」と思うことでももしかしたら別の視点や事情があるかもしれない、と慎重な気持ちになってみるべきだとわたしも思います。
人に注意したくなるほどタバコの煙がいやなら、私も禁煙や分煙のお店に入った方がよいと思いますね。
それに喫煙OKのお店は大人のためのお店であることが多いですし。
バレエ行かれたんですね〜。私もチケット無理無理取って
行きました!6/28、新国立劇場でした。
それにしてもあの劇場は素晴らしいですね。
初めて行ったのですが、ちょっと感動。
ドンキホーテ、良かったですね〜。でもお隣さんが落ち着きのない人で
がっくしでした。。 もー静かにしろぃ!!
7月も行く予定です。演目は一緒ですが、K-Balletです。
子どもを注意しない親っていうのが、今、本当に多いです。
なんなんでしょうか…
私の2人の子どもがいますけど、これに関しては
言い尽くせないですね、ホント。子どもなら何でも許されると思ったら大間違いなんですけど。。
いろんな場所へ子どもを連れて行くのは、いい事だと思いますが、ルールを教えられない、もしくは自分がルールを守れないなら連れて行ってはいけないと思います。うん。
日記かいててよかったなぁ。
★レッドアイやん
圧倒的な正義が存在しなくなってしまった時代において、圧倒的な正義振りかざし系はつらいですよね〜。ホントに「絶対」がないというのが、つらい。わたしの世代は、ギリギリ、「絶対」という価値に対して反抗することでアイデンティティを保っていたと思うので、それがなくなって「自分で価値をつくる」というのはしんどいことだなぁと思います。
★みゃんさん
スモーカーですか!むやみに仲間意識が芽生えて嬉しいです!もおお本当に心情としてはおっしゃるとおりです。
でも、子どもに悪いっていうのは正義なんですよね〜。そのへんの折り合いをつけるのが難しいというか。決して誰かを不快にさせたいと思っているわけではないのだけれど、わたしばっかりガマンすることないよね?という。ああ、なんだか恋愛みたい。
ところで、スピリッツ読まれました?こころゆくまで語りたいです!!
★みなとさん
そうなんです!
「もしかしたら別の視点や事情があるかもしれない」という話をもっとできるといいんですよね。
本当に恋愛のようだなって思います。その〜。ディスコミュニケーションという点において。日本人は簡単に自分と他者の区別ができなくなっちゃうんですよね。
ああ、でも本文に書かなかったのですが、お店の人が、そのお客が帰ったあとに「(不愉快な思いをさせて)すみませんでした」と謝ってくださったのが、ちょっと救われました。これがまた白金某所のいい店なんですよ!ちょっとみなとさんをお誘いするには庶民的すぎるのですが、機会があれば是非。
★ぱでぃさん
そうそう。日本の取り入れた個人主義はやっぱりちょっと歪んでいたんだな〜と思う出来事でした。
個人主義というのは、自分で選んだことに責任を持って、人に後から文句を言わないってことなんですよね。
いや、そのお客さんたちの主張はたぶんごもっともで、ただその表出の仕方がむつかしいなぁと思いました。
★ジンジャーさん
おお!わたしは6/30でした(ザハロ●と●ヴァーロフ)。新国は気配りが行き届いていていい劇場ですよね〜。
7月のKは行かないのですが、熊●さんの代役の●スタ・トーマスくんはかなりいいと思います。海賊には向いている気がする(色気はちょっとわかんなけど、若いし)。
ちなみに今週ル●マトフ見たのですが、本当に一挙一動が意志の塊で、ちょっと感動で涙が出そうでした。
子どもにバレエとか演劇を見せるというのは、すごくいいことだと思うのですが、やはりハイアートの場合は年齢制限はある気がします。あれは、「わかろうとする意思」がないと意味がないような気がしちゃうんですよね。
まれに「意志」のないひとまで、彼方に連れて行くダンサーもいるのかもしれませんが……。