ネネ(仮名)には三年ほど援助交際で会い続け、今も連絡を取り合っている男性がいる。「一時期軽く好きになりかけ」た妻子持ちのこの男性との関係は微妙だ。この男性との付き合い方についてネネは「(お金が)発生しないとちょっと会う気にはならないかな。ただで、ご飯だけとかは会う気にならない。好きとか仲良くてもね。」と語っている
そおかぁ。
援助交際ってしたことないと思っているけど昔からちょっと気にはなっていて、例えば「うわ!今月お金ない!電気代払えないかも!」というときに付き合っている人に電気代1万円とかもらったことはある。あれは確かに援助だったわけだけど、それは援助交際だったのかしら・・・とか。(でも月の1/3くらいうちに泊まっていたんだからいいだろうというのが、心の言い訳ですが)
あと、学生のころ財布落として2万円借りたりとか。(われながら細かいな)
で、やっぱり今だって「ご飯を食べに行って割り勘にする男とはセックスしたくない」ってきっぱり思ってはいるんだよね。いや別にたまにはわたしが出してもいいし、たまには割り勘でもいいんだけれども。でもそこの部分は甲斐性というか、見得を切ってほしい。
結局、男女の関係に限らず人と人が付き合うというのはある種のサービスの交換にほかならない。この場合交換されるものというは「愛情」であったり「やさしい気持ち」であったり「贈り物」であったり「手間ヒマ」であったり「お金」だったりする。
愛情ややさしい気持ちとは≒(ニアイコール)期待されるものだ。
愛情ややさしい気持ち≒(ニアイコール)贈り物、手間ヒマ
だったんだろうけど
贈り物、手間ヒマ≒お金
という図式が資本主義社会においては成立してしまう。
すると
愛情ややさしい気持ち≒お金
も数式としては成り立つ。
でも慣例的に
愛情ややさしい気持ち≠お金
とされている。
でもこういった問題はセクシャリティとか労働に対価が発生するかどうかという非常に社会的なことをはらむのであまり考えたくないというか、思考停止をしておきたい部分なんだよね。
(考え始めたらきっとわたしは結婚できないので。ただでさえできないのに)
まぁ、そんなことをちょっと考えました。
ちなみに援助交際の目的は「ケータイ代を払うため」というのがすごい多いそうです。わたしが高校生のころはまだケータイなかったので、よく深夜まで自宅の電話で友達と長電話をして電話代の請求がすごいことになってしょっちゅう親に怒られました。もし今女子高生だったら、わたしは携帯電話料金を払うためにどうしていたんだろう??
「援交少女とロリコン男―ロリコン化する日本社会」ISBN:4896919858 新書 圓田 浩二 洋泉社 2006/01 ¥819
コメント