スパート

2007年1月15日 読書
一人暮らしなので、親に怒られることは減りましたが、もし今自分に家族がいたら(お母さん役:わたし、娘役:わたし)わたしはわたしを叱ってあげたい。
「そんなにひがんでばっかりいて!そんな子に育てた覚えはありません!ずっとそうやってひがんでらっしゃい!」
というくらいプチひがみ気味な毎日です。基本的には楽観的で無駄に前向き(反省を生かせないタイプともいう)なので明るく過ごしているのですが、油断するとひがみ根性が。気をつけよう。

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でもすごくうれしいことがあって、クリスマスプレゼントに、とアクセサリーをいただいた。
現金なもので、それからというもの、ぼーっとしていると顔がほころぶ。

アクセサリーそのものもめちゃめちゃ嬉しかったし、その人がわざわざお店に行って自分のためにそれを選んでくれたということを想像してうれしかった。両方うれしかった。世の中で誰かが自分のためにお金と時間と気持ちをかけてくれるということに勝る贅沢はないなあ。わたしも同じように、相手にお金と時間と気持ちをお返しができるといいのだけれど。

今より若い頃、誰かが自分のためになにかをしてくれるというのはとても恐ろしかった。見返りを求められているような気がしてとても怖かった。でもそれって結局、自分が誰かのためになにかをしてあげたときに見返りを期待するという根性の裏返しなのだ。
自分が誰かになにかしてあげたときに、「なにかお返しをしてもらって当然!」と思っているから、自分がしてもらうことが怖かったんだと思う。
もっと相手を信用したい。
(別にお返しをするつもりがないというわけじゃないんだよ)
相手の気持ちを信用したい。そんな風に思う。『リンさんの小さな子』を読みながら。

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思えば海外でひとりぼっちで生活していたころも、実はわたしはひとりぼっちではなかった。精神的にも物理的にもいろんな人に助けられて、生きていた。
わたしをそのときに助けてくれた人たちは、多くの場合「今わたしに親切にしても、何の得もしない人たち」だった。
「こんなによくしていただいてもわたしはなにもお返しが出来ません」というセリフを何度母国語じゃない言葉で言ったことだろう。その人たちはみんな「わたしにお返しをしてくれなくてもいい。いつかあなたが誰かを助けられる立場になったときに、誰かを助けてあげて」と口を揃えて言っていた。

そんなことを思い出した。

そしてそう思い返すと、わたしは今だって、ものすごくたくさんの人からそうやって接してもらっている。

当時いい人になろうと思った。というか、多分自分は一生悪いこと出来ねぇだろうと思った。最近は自分の仕事にいっぱいいっぱいでなかなか誰かを思いやるという余裕もないのだけれど、でも自分がなにかを出来るときにはその労力を惜しんじゃいけないんだ、と。
もちろん、意図しなくても人を傷つけてしまうことは、その後もあったし、今後もあるんだろうけれど。

アクセサリーというのは、その時の記憶も過去の記憶もこんな風に呼び起こすものなのだなあと実感。
・・・ってどれくらい喜んでいるか伝わりました?(笑)

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今週末で長かった修羅場も一応一段落する予定。(あくまで予定・・・)
今週末には来期の仕事の計画を立てて会社でプレゼンして、そしたらたまには飲みに行ける生活に戻れる予定(あくまで予定・・・)
最後まで逃げないで努力をできますように。後悔しないよう努力をできますように。

「リンさんの小さな子」
ISBN:4622071649 単行本 高橋 啓 みすず書房 ¥1,890

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