実家から洋服の詰め込まれたダンボールが届く。
開けてびっくり。
「ドレス」がたくさん入っていた。
洋服というよりは、ドレス。

ジュン・アシ○の総レースのワンピース。
フォク○ーのオードリーみたいなふわふわ広がったスカートのワンピース。
ヤマ○の絹のスーツ。
ミュゼ・○ュージのワンピース。

・・・・どこに着ていくんだ???

うちの母親は、多感な年頃(結婚して20代前半から30歳くらいまで)を、父親の仕事の都合で海外で過ごしたせいか、すごく乙女ちっくなまま大人になってしまった人だ。
小さい頃のわたしは、「西洋人のきれいなきれいな子どもに混じって、赤いサルみたいな顔でドレスを着ている」というトラウマになりそうな写真がいっぱい残っている。
うちの母は、エレメンタリー・スクールでひとり「アジア顔」の娘を持ったという事実には目をつぶったままで、娘を飾り立てることに余念がなかった。たいしてお金持ちの家でもなかったのに、やたらと高級な子ども服ばかりを着せられていた。自分である程度のお金を稼ぐようになった今でさえ、その頃に自分が来ていたブランドの服はとても買えないと思うし、自分が結婚して子どもができてもそこまで子ども服に情熱をかけないだろう。まー長女だったしね。

わたしはその反動で、おろそしくヒッピーな格好を好むようになり、学生の頃はオーバーオールとか、高円寺無限堂で売っているインドのタラタラ服を着ているような女の子になった。わたしのファッションリーダーは、ダウンタウンの浜ちゃんだった。(かわいかったよね!)
それにもかかわらず。実家のわたしの部屋はローラ・○シュレイの壁紙とカーテンとベッドカバーで統一されている。そして、親はいまだにわたしにフリルの洋服を着せたがるのだ。

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実家に電話。

「ママ、荷物届いたよ。ありがとう」
「よかった!可愛いでしょ!」
「・・・・うん。でもさ、頼んでいた単衣の着物が入ってなかったんだけど?」
「あら!忘れてた!」

・・・・・・・・・おおおおおおおおい!

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ついでだったので、ぽんちゃんと別れたことも話した。
うちの母親がたまたま上京したときに、ぽんちゃんと一緒にご飯を食べたことがあった。
うちの親は、「ようやく娘が結婚するかも」って思ってたはずだ。

「あのさ。ぽんちゃんとは別れることにした」
「あら、そうなの」
「うん。ごめんね。また婚期が延びるよ」
「まぁ、仕方ないわねぇ。でも子どもが出来るうちに結婚してほしいわぁ。タバコもやめてね。」
「うん。わかってる」
「セックスが合わなかったの?」

・・・・・・・・・おおおおおおおおい!

あんた、あけすけすぎるよ。

いや、母親の指摘は極めて正しい。

そしてうちの母親はそういう人だった。

お嬢様ぶっているかと思えば、すぐにわたしのボーイフレンドの名前をあげて「○○くんとはセックスしたの?」と若い頃にもよく聞かれた。

してねー。
つーか、たとえしてても、言えるわけねー。

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母は、お嬢さんではないんだけど、お嬢さんしか許されない「天然ボケ」の人。
忘れもしない小学校一年生の頃。

「クロムは、学校で好きな人とかいないの?」
と聞かれた。

当時素直だったわたしは
「誰にも言わない?」と母親に念を押した。
「言わない。約束する」
「あのね。クラスのHくんが好きなの」
「そうなの」

翌週、PTAがあった。
そして、その翌日に、同級生全員が「わたしがHくんを好き」という事実を知っていた(爆)。
母親がPTAで、「うちの娘はHくんが好きなんですぅ〜」と言ってくださいやがったのだった。

なにせ、小学校一年生。
クラスの子、みんなにからかわれた。
「クロムはHが好きなんだよな〜」
「クロムちゃんは、Hくんが好きなんでしょ〜」
今だったら、開き直れる。
ああ、そうだよ。わたしはHくんが好きよ。文句あるの? って。
当時は無理だった。
わたしはうつむいて真っ赤になり、半泣きになり、搾り出すように「好きじゃないもん!!」と全身で抵抗した。
Hくんだって、いい迷惑だったろう。
さんざんからかわれて
「俺だって、なんとも思ってないよ!!」
といわれた。

わたしの恋は終わった。

「恋すてふ 我が名はまだきたちにけり 人知れずこそ思いそめしか」なんて生易しいもんじゃなかった。

家に帰って、泣いて親に抗議した。
「誰にも言わないって言ったじゃん!!」

「ごめんなさいね。ママ、口が滑っちゃって」

・・・・うちの親はそういう人だった。
以降成人するまで、わたしは好きな人のことを二度と親には話さなかった。
今でもたまにその話はするけど、うちの親が逆切れするようになってしまった。

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というわけで母親とは、かなり長い間、仲が悪かった。
まーそれだけが原因じゃないんだけど、フツーの思春期の女の子並に仲が悪かった。

わたしが高校生のころ、母はよくうそをついて出かけた。
別に出かけるのに、うそをつく必要はない。
ただ、専業主婦の彼女は出かけることに理由が必要だと思っていたようだった。
わたしは、あるとき彼女がうそをついていることに気づいた。母はそのことに気づいたけど、わたしはそのことを誰にも言わなかった。母も言い訳をわたしにしなかった。
心ひそかに彼女を憎み、心ひそかに自分の罪悪感を慰め、そして心ひそかに彼女への優越感を味わった。

成人して何年も経ってわたしが「結婚」というものを意識するようになってから、そのことを話す機会があった。

「お父さんと結婚を決めたのは、お父さんがキッパリしてたからなの」
「ふーん」
「他の男の人たちは、『あ、もしかしてわたしのことが好きなのかな』とか『好きなんだろうな』って思っても、全然はっきりしてくれなかったの。お父さんは会ってすぐに『結婚しましょう』って言ってくれたの。だから、結婚したの。男の人ってそういうの大事よねぇ」
「おお!それはわかる気がする!」

母が、父と結婚した後に、母をめとれなった男の人で生涯独身で過ごした人もいる。
今でも母のことを大好きな人にも、3人会ったことがある。

そして、母が嘘をついたのは、母のことを生涯愛し続けた人が、死の床につくときに見舞っていたのだということを、聞いた。

「わたしが高校生のころ、嘘をついて出かけていたのは、誰かと付き合っていたの?」
「そうじゃないの。でも○○さんがもう長くはないとわかって、病院にお見舞いに行ってたの。最初はもちろんパパに言ったんだけど、何度も行くのは気がひけたの。」
「そっか」

親に似ないことは、むつかしいというけれど。わたしは母のような人になりたい。と結構本気で思う。
それはまったく違う人生を歩んでいる今だからこそ思うことかもしれないんだけど。
人を大切にして、そのことに恥じらいというか配慮を持って、そして美しい人だと思う。

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ドレスのことだけ書くつもりが、想定外に長くなっちゃった。

母は来月、そんなに難しくない手術とお誕生日が控えている。
なにができるかな。なにをしようかな。
そんなことをつらつらと考えてたり、とか。

★恵芽様

リンクありがとうございます〜。うれしいです!
よろしくお願いします。

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