目的と手段

2006年4月5日 読書
木の芽時のせいか、たまになんだかえっちな気分になったりして、そんな自分に気づいて「あら、わたしったら欲求不満?」と思って赤くなったり青くなったりしていたのですが、今週の漫画ア○ション読んだら、一気に萎えた。

なんでだろう。一方的な性のにおいみたいなものを感じたからかしら。別にエロマンガは嫌いじゃなくて、むしろ大好き(ってこの言い方も語弊がありますが)なんだけど、そういったもののなかであらかじめお約束として扱われる「目的」の性と、青年誌における手段としての「性」というのはあきらかに違う位置づけだと思うんですよね。言い訳として成立する「エロス」に非常に不快感を覚えるというか。もーなにいってんだか自分でもわかりませんが。

特に「俗・幸○の時間」と「ぬく○くと男でいよう」が萎えた。
自分の未成熟とエロスという問題に向かい合えない主人公というなんの救いもないシチュに、エロスを被せるだけで、漫画として成立するなんて!!そんなものに払う金は持ってねぇ!(払っちゃったけど)
そんな自己肯定型の男が増えたら迷惑ダ!!
大事にされてない!!
役割としての性を負わされるという義務感を感じた途端に「ああ、もうこんなことなら当分セッ○スなんかしなくていい」と倦怠感を覚えたんです。

「無○地獄」も終わっちゃったし(尻すぼみだったが)、「さん○ん録」も次号で終わりだし、「耳か○お蝶」と「DOZO!みさ○ちゃん」に未練はあるけど、もう買うのやめようかなぁ。復刊した頃の熱さを取り戻してほしいなぁ。

掲題の「小鳥たち」も、矢川さんの文体とあっていてそれはそれでよかったけど、エロスは感じなかった。
わたしの尊敬するおじいちゃんたちが「高等エロス」と言っていたので、そういわれると「そうか」と流されたくなるけど、なんかやはり手段としての「エロ」なんですよね。
わたしのイマジネーション不足かもしれないんだけど。

ISBN:4102159215 文庫 矢川 澄子 新潮社 2006/02 ¥500

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